銀河鉄道の夜
次回の課題本。1月中に読んだ。
純文学は読みにくいので、なるべく読み切れるように子ども用の本を選んだ。
印象に残ったジョバンニの言葉に
「ザネリはどうしてぼくがなんにもしないのにあんなことをいうのだろう。ぼくがなんにもしないのにあんなことをいうのはザネリがばかなからだ」
大人になってもこちらが何もしていないのに意地悪を言ったり、したり、マウントしてきたりということはある。なんでだろう?って私も思う。私にはその気持ちはわからないけど、自分が人にそういうことはすまいと思う。
また、さそりの話を聞いたジョバンニがカムパネルラに
「ぼくはもうあのさそりのようにほんとうにみんなの幸せのためならばぼくのからだなんか百ぺんやいてもかまわない」
「うん。ぼくだってそうだ」
「けれどもほんとうのさいわいはいったいなんだろう」
「ぼくわからない」
「きっとみんなのほんとうのさいわいをさがしに行く。どこまでもどこまでもぼくたちいっしょに進んで行こう」
このあたりが主題なんだろうな。本当のみんなの幸せって何か?自分の、ではなく、みんなの。
堀尾青史さんの解説には、「カムパネルラの死とジョバンニの生が問われている。賢治作品の主題である、まことの道とは、みんなのしあわせのために尽くすということだった。自分のからだなんか百ぺんやけてもかまわないと決意したジョバンニは生きており、それを聞いたカムパネルラは死者だった。
人はなんのために生まれ、生きるか。人はなんのために死ぬか。みんなのしあわせとは具体的になになのか、その答えを読者に求めているように考えますが、賢治の「農民芸術概論」の中のことば「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はありえない」というきびしい精神をもって結論としましょう。人びとの貧苦や病苦をなくし、みんながしあわせになったとき、はじめて自分もしあわせでありうる、という精神であり実行です。」としている。
宮沢賢治は37歳で早世しており、幼い時から体が弱く、死と隣り合わせの生涯だったと言っても過言ではないと思う。それゆえにどう生きるべきかを強く意識したのかなと思う。純文学はストーリー性よりも芸術性を重んずるものだという。芸術性を私なりにわかりやすく考えると主題なんだと思う。主題を問うゆえに何度も読み返しても新しい発見があるのかなと思った。
また、ほかの出版社の解説も読んでみたいと思った。