乱反射
乱反射 貫井徳郎著
バタフライエフェクトを小説にしたって感じ。
1人1人の小さな悪事が結果的に幼い子どもを死なせてしまったという話。
悪事なのか、モラルのなさなのか、欠けた良心なのか。
事故や不幸が起こるときは、確かにいつも小さなエラーが重なる。
どれか1つでもなければ、起こらなかったということはよくある、本当によくある。
でもその1つが小さいことのように思えて、当事者にはこのくらいは大丈夫だろうと思えてしまう。
貫井さんは文章が読みやすくてそこがとても好きだ。
「愚行録」もとても良くて、タイミングが違えば直木賞受賞できただろうと思う。
「乱反射」は第63回日本推理作家協会賞を受賞している。
たくさんの人が登場する群像劇なんだけど、その登場人物1人1人が、こういう人いそうだなあと思わされる。ごく普通の人を描くのが上手。
「愚行録」もそうだが、社会情勢を取り入れて書いている。設定に無理がなくて、ああ、いそうだなと思わされる自然さ。
好きな作家さんの1人。もっと評価されてほしいな。
戦争とこの国の150年~作家たちが考えた「明治から平成」日本のかたち~
戦争とこの国の150年~作家たちが考えた「明治から平成」日本のかたち~
保坂正康、西村京太郎、池内紀、逢坂剛、浅田次郎、半藤一利 対談
保坂正康が5人の作家と対談して、明治維新から150年を考えた本。
半藤一利が亡くなったのを機に、何か読んでみようと思い、とっかかりやすそうだったので読んでみた。
西村京太郎は軍のエリートを育てる幼年学校に通っていたこと(通ったのは1年。15歳で入学もすぐに終戦)や、浅田次郎が自衛隊に2年入隊していたことなど、私にとっては意外な事実を知った。
すべての作家が第二次世界大戦を経験しているか、もしくは軍と近いところにいたことがある経験を持っていて、体験からくる言葉の重みを感じた。
半藤一利との対談は、まず幕末から明治にかけての歴史で通説となっていることを知っていることを前提に、その通説を否定しているので、持っている知識によって理解の深まりが違うのかなと思った。戦争を進めたのが官軍で、止めようとしたのが賊軍という本人も言っているがちょっと乱暴なくくり方をしているが、それは敗戦後の悲惨さを知っているものと知らないものの違いという対比をしていて納得した。
今の日本は私も含めて戦後すら知らない世代になってきて、ヒトラーが台頭した時代に似ているといわれる。もっと歴史を勉強しようと思う。
銀河鉄道の夜
次回の課題本。1月中に読んだ。
純文学は読みにくいので、なるべく読み切れるように子ども用の本を選んだ。
印象に残ったジョバンニの言葉に
「ザネリはどうしてぼくがなんにもしないのにあんなことをいうのだろう。ぼくがなんにもしないのにあんなことをいうのはザネリがばかなからだ」
大人になってもこちらが何もしていないのに意地悪を言ったり、したり、マウントしてきたりということはある。なんでだろう?って私も思う。私にはその気持ちはわからないけど、自分が人にそういうことはすまいと思う。
また、さそりの話を聞いたジョバンニがカムパネルラに
「ぼくはもうあのさそりのようにほんとうにみんなの幸せのためならばぼくのからだなんか百ぺんやいてもかまわない」
「うん。ぼくだってそうだ」
「けれどもほんとうのさいわいはいったいなんだろう」
「ぼくわからない」
「きっとみんなのほんとうのさいわいをさがしに行く。どこまでもどこまでもぼくたちいっしょに進んで行こう」
このあたりが主題なんだろうな。本当のみんなの幸せって何か?自分の、ではなく、みんなの。
堀尾青史さんの解説には、「カムパネルラの死とジョバンニの生が問われている。賢治作品の主題である、まことの道とは、みんなのしあわせのために尽くすということだった。自分のからだなんか百ぺんやけてもかまわないと決意したジョバンニは生きており、それを聞いたカムパネルラは死者だった。
人はなんのために生まれ、生きるか。人はなんのために死ぬか。みんなのしあわせとは具体的になになのか、その答えを読者に求めているように考えますが、賢治の「農民芸術概論」の中のことば「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はありえない」というきびしい精神をもって結論としましょう。人びとの貧苦や病苦をなくし、みんながしあわせになったとき、はじめて自分もしあわせでありうる、という精神であり実行です。」としている。
宮沢賢治は37歳で早世しており、幼い時から体が弱く、死と隣り合わせの生涯だったと言っても過言ではないと思う。それゆえにどう生きるべきかを強く意識したのかなと思う。純文学はストーリー性よりも芸術性を重んずるものだという。芸術性を私なりにわかりやすく考えると主題なんだと思う。主題を問うゆえに何度も読み返しても新しい発見があるのかなと思った。
また、ほかの出版社の解説も読んでみたいと思った。
お引っ越し
お引っ越し 真梨幸子著
いやミスで知られる真梨幸子だが、いやミス感はそこまでではない。
扉、棚、机、箱、壁、紐、解説の7話で構成。
本編だけ読んでもわからなかったことが、解説を読むとそういうことかとわかる仕掛け?になっている。アオシマという登場人物で各物語がつながっている、ということになっている。もっと各物語同士のつながりがあるのかと期待していたので、若干つながりはあるが物足りない気がした。
棚は構成上仕方ないのかもしれないが、過去の話か現在の話が一読でわかりにくい。
解説が一番面白かったかな。
何年か前に購入して、机くらいで読むのが止まっていた。
読みにくいなあと思って。机は解説まで読んで、ようやくわかった。
実話がベースになっているらしい。
それぞれがもっと絡み合っているような話を期待していたので、ちょっと物足りなく感じた。でも、解説を読んだら、もう一回読んでみようかなと思わせるので、それが狙いなのかな?わざとわかりにくく書いているのかな?
箸休めにちょうどいい本かも。
楽園とは探偵の不在なり
楽園とは探偵の不在なり 斜線堂有紀著
天使が降臨し、2人以上の殺人を犯すと天使に地獄に落とされる世界で連続殺人は可能か?というミステリー。
設定が魅力的ではあったけど、深みはあまり感じなかったかなー。
2人以上殺すと、天使が現れて地獄に落とされる=殺される。殺意がなくとも2人以上殺してしまっても天使に処分される。(例えば、毒と知らずに飲ませて、飲ませた相手が死んでしまった場合など)医療事故はセーフ。だけど故意の医療事故の場合は殺人に換算される。
意図した殺人ではなくとも、結果的に人が死んでしまった場合にも殺人と天使から認定されるところがこの話のポイントだと思う。
殺人の動機に感情的に入り込めないのと、この設定の中での懊悩が見えないこと、あと、単純に登場人物の名前が読みにくく覚えにくいことが、なんとなーくいまいちかな~と思う点かな~。
書評って難しいもんだな。私のはただの感想で、記録だけど。
ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー
「ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー」ブレイディみかこ著
英国人男性(正確にはアイリッシュ)と結婚した日本人女性が、その間に生まれた息子を通じて感じる英国の階級格差や分断、偏見、差別などを書いたエッセイ。
まず、この題名がめちゃくちゃセンスがいい。これは著者の息子君がノートに落書きした文章からとったものなんだけど。そして、みかこさんは文章がうまい。書いていることも、ただ感じたことだけでなく、その言葉の裏にある背景を出典を明らかにしながら説明する。すごく読みやすいのに中身も濃い。文章のセンスの良さに嫉妬しちゃう。
英語でsympathyとempathyの違いについて説明している。どちらも共感とも訳せるが、sympathyは感情や行為や理解だが、empathyは能力なのだそう。感情的に同情しているsympathyは共感しやすいが、empathyは同情しているわけではないが、相手を理解しようとする能力ということらしい。empathyとは何かと問う問題に、息子は他人の靴を履いてみることと答えている。empathyこそ、いまの世の中に必要なのかもしれない。
また、時間をおいて読んでみようと思う。違うものが見えてくるかもしれない。
みかこさんの文章が気に入ったので、他の本も読んでみようかな。
持続可能な魂の利用
持続可能な魂の利用 松田青子著
絶対に読もうと決めていた一冊。
小説の形で、現代の日本社会が女性にとっていかに生きにくいかを描いている。
かつて、女性がセクハラを受けたときに「減るもんじゃないし」という心ない言葉を言う「おじさん」がいた。(この場合の「おじさん」は中高年男性を指すのではなく、老若男女問わず女性を生きにくくしている存在)それを松田さんは「魂が減る」と表現した。私個人は「心が減る」と表現していた。おお、同じ感覚~と思った。
多くの女性は共感することが多い小説だと思うが、男性が読むとどう感じるのかな?過剰反応だとかヒステリックだとか思うのかな?でも多くの女性がいまの日本で感じていることなんだけどな…。
また時間をおいて読み返したい本だ。